住む所

今回の天津暮らしは、以前とは少し違います。
まず、仕事場が引っ越したのでクルマ通勤しないといけません。
ちょうどの時間に出るとえらい渋滞と中国無謀運転で疲れ果てるので、大体6時半に出て快速路と高速を使って約50km、道が空いてるうちに会社に着く様にします。

班車といって会社の通勤バスも出ていますが、バスが苦手なのでクルマを貸してと言ったらVela(日本ではプラッツ)というのを貸してくれました。フェンダーがへこんでるけど走るからまあいいや。


以前借りていたアパートは家主が売ってしまったので新しいアパートを会社が借りてくれました。

有難い・・・こんな部屋。

ごく普通(数年前まで)のセンスの中国の内装です。
以前住んでいた部屋とは同じ地区で、生活の不便はありません。
何より、快速路の入り口が200m先で超便利、50kmの通勤で信号が二つしかないのも素晴らしい。

ソファーの向かいの壁には40inのテレビ。
テレビ要らないよって言ったらアニキに「余計なこと言うな、これも契約のうちなんだ」とたしなめられました。テレビ見ないなあ、見てもわかんないしなあ。


さて部屋が決まり、前の部屋に残してあった荷物が運び込まれて改造の始まり。

これは・・9年ほど前に初めて天津で工作した作業台。

こういうのがまだあるんだよ。本当言うと要らないんだけど、運び込まれちゃった物は仕方がない。

これも捨てられなくて良かった。


棚を組み立て、ソファーを片付けるとこんな感じ。

いきなり懐かしい感じになってきたね。



作業台はちょっと改造して・・・



テレビ台になった。キャスター付だから自由に動かせる。テレビは大画面モニターとして有難く使わせていただく。


椅子は昨日土砂降りの中を運転して家具屋で買ってきた。

先週、家具屋でいろいろ見てこれならまあまあかなという椅子。とにかく長時間椅子に座っているので、疲れない椅子じゃないといかんのです。


大好きな大テーブルも復活してネットしてたら「大地の子」があった。

NHKで放映されたのは何年だったか、毎週見ていた。その頃はうちの子供も小さく、まさか自分が中国で仕事をすることになるとは思っていなかった。ただ、主人公が西蒙古製鉄所で見る夕陽の印象が強く、俺もあんなところに行きたいなーとは思った・・・確かに思ったよ。西蒙古にはまだ行ってないけど、近いところには行った。氾家屯にも行った。

ま、とりあえず僕は中国に居るわけだ。

この手のドラマを見るたび、戦前の多くの日本人の努力と戦争でこうむった過酷な試練を思い、言葉をなくす。戦後の日本で育った僕が何か言えるものでもない、ただ頭を下げ、手を合わせるしかない。

国交回復以後の日本からの多大な援助は、贖罪の意識もあっただろうけど、普通に考えれば単純に困っている隣人に手を差し伸べるのは当然という日本の常識で行われたのだろうと思う。日本人の普通の感覚はそうなのだ。

その結果はあまり芳しくない方向に中国を後押ししてしまったようだけど、それはそれでよかったと思っている。

日本はただ黙々と努力すればいいんだよ。
昔みたいに。

僕もまたこの厚遇に甘えることなく結果を出さなければならんですな。


二年前に買ったデッキシューズが随分くたびれたので新しいのを買った。まけてもらって150元(2200円くらいかな)

夏はデッキシューズが楽でいいやね。