いやぁ書くべきか、どういう角度で書いたらいいか考えがまとまらない模糊とした状態が続いていました。
今日は2月27日、次の手術に向けた検査で入院中の中央病院のベッドに居ます。
今MRIってのをやってきたんですけどあと20秒長かったら暴れるところでした。きつい検査は承知の上で、もう少し被検者に優しいやり方がありそうなものですが、20年前の南ヶ丘病院の方がすすんでいたよ。
ま、とりあえず去年の秋に起きたことを記録します。
昨年秋、稲刈から大豆の収穫が終わって麦蒔きの準備にかかる頃、11月27日僕はお客さんの庭で草刈りをしていました。良い天気で作業も順調です。3時の休憩で軽トラの荷台に腰かけコーヒーを飲んでいると急にパキッと背中が割れたような音がして経験のない激痛が来た。
九十過ぎのお客さんがオロオロ心配する前で僕は庭をのたうち回っておりました。こんな痛みに思い当たリがないし息はできないし和らぐ気配もない。
お婆ちゃんが心配のあまり倒れるんじゃないかと思った時、僕は腹を決めて救急車を呼びました。自分のために救急車を呼ぶのは抵抗があるのです。
午後3時40分 救急車を呼ぶ
約8分救急車現場到着
救急隊員の第一声「大動脈乖離の可能性! 」
アレ?それ先週見たTVドラマでやってた
救急車内「隊長!県北病院、荒尾市民病院受け入れできません。」
「熊本はどうだ?電話かけ続けろ!ドクターヘリを呼べ!」
約5分後 大橋口河川敷にてドクターヘリに移乗。
あたりは黄昏時でストレッチャの上で見えた空はすごくきれいな青紫色でした。
ドクターヘリ機内 「もう大丈夫ですよ、何処が痛みますか?」
と聞かれた頃には痛みは右肩に移っていたように思います。
でもこの問いかけはすごく安心した。
結局熊本市内での受入先が決まらないままとりあえず日赤?に降りることとし、窓からヘリポートのHマークをちらっと見て気を失いました。
それから眠っている間に心臓手術、その後集中治療室に移って7日後、意識が戻ってこっちに帰ってきました。
初めての救急車、ドクターヘリ、長時間の心臓手術 現場の緊張感や救命活動にかける多くの人達のお陰で、63年で終わったかも知れない僕の命は繋げていただきました。
皆様の覚悟と努力に感謝します。
晦日に帰宅して正月を過していた僕等に飛び込んできたニュース。能登北陸の被災者の方々、心より御冥福とはやい癒しがあるようお祈りいたします。厳しい現場で救急救命活動に立ち向かっておられる皆様のご無事をお祈りします。
生きていると本当にイロイロ起きるなぁ。
そのあったことを記錄するだけで3ヶ月もかかったわけで。