ヤベェ...

今回の大部屋は状況の厳しい方が多いようです。晩飯の終わった今時分奥様からよく電話がかかってきます。見た感じ僕より10歳程上の世代だろうと思われますが、どちらさんも電話の声がでかい。

内容が丸聞こえじゃないですか。

「お父さんきょうはどうじゃった?」

「あぁ、あんまり良くない。」

「全然良くならん」

「動くときは危ないので必ず看護師を呼んでくれって言われたバイ、もう小便にも行けん...」

「お父さん」

「お父さん」

「...」

「泣きなすな」

「アータが医者に行かんけん」

「人の言うこつば聞かんでしょ」

「折角病院のみなさんが良うなるごつしなはっとだけん」

「ちゃんと言うこつ聞いて頑張ってよ」

「わかった、そうする。あ、今度来る時カンパン持ってきて」

身につまされますなぁ

 

他人事には思えん。

健康管理を怠って・・というか全くせず飲んで食ってタバコ吸って睡眠時間を削って無茶した挙げ句の動脈解離ですから。

姉の病院で降圧剤貰っていたのに飲み続けるのに飽きて途中で止めちゃったり、大体が過信と無理解が作業着着て草刈りやってるだけのオヤジですから。

 

よその奥様とはいえ力強いお叱りがビシビシ刺さります。

見舞いに来た女房に遅くなるから早く帰れと言ったのはただ心配したんじゃなく、ベッドから離れられない自分に比べこいつは好きなものが食えて行きたい所へ行ける。家内の健康と自由を妬んだからです。

くっそ、女はなんでこんなに強い?

 

しかもなんか肝臓に問題があるらしく、当初の予想を裏切って入院11日目に突入であります。姉ちゃんにグチっていたらそりゃあ中国でアレだけ好きなもん食って高濃度のアルコール飲んでりゃねって笑われましたがな。

そんなわけで未だ病院のベッドで魂引っこ抜かれております。

 

春は好きです。

天気が続くと昼間は汗ばむくらいですな。

春ですよ。

ウグイスが鳴きだすと家内がソワソワしてこんなことを始めました。

ウグイスは人目に触れることはほぼないけどメジロはよく来ます。

家内が裏庭で遊んでいる間、私は来年の薪を取っていました。薪ストーブを使っていると皆さんいいねとおっしゃいますが毎年の薪の確保や灰の処分は大変です。今年のように途中で薪が終わると燃やせるものが無くてお手上げですわ。

幸い退院後は無理するなと医者にも言われているのでこんなにゆっくり焚きモン取り出来たのは久しぶりです。棚一杯に薪を積み上げると次の冬への安心感と期待が高まります。

 

いろんなことが少しヒマな今、僕は2回目の動脈手術を信頼する名医タッキーにお願いしました。手術も術後の経過も概ね良好で先程一般病棟に帰ってきました。病気の重軽、内容に拘らず病院というのは楽しい場所ではありません。

病気の経験のない者に病人の気持ちは分からない。その逆も真で病院で出会う色んな人の痛みや苦しみを思い浮かべては一人ドンヨリとしています。

それでも一般病棟は退院に向けた準備病棟でwifi使えるしブログ書けるし楽になりました。

一般病棟の夜、周りは3人のお爺さん。これが寝息というかイビキと言うかとにかく騒がしい。頻尿王の僕も今回の入院で一番眠れませんでした・・・ビックリ

今回は先生と相談の上での計画的手術だし、内容が前回治した先のステントグラフ挿入なので傷が小さく所要時間も概ね3時間と怖い痛い時間も短縮出来ました。CCU(心臓外科専用集中治療室)にいたのも3日半ですみました。アリガタヤ

 

今日は3月24日

ヒゲでも剃って見舞いに来る古女房を迎えてみましょう。

 

 

退院のあたりで花も見頃になりそうです。

 

イロイロあるもんだ。

いやぁ書くべきか、どういう角度で書いたらいいか考えがまとまらない模糊とした状態が続いていました。

今日は2月27日、次の手術に向けた検査で入院中の中央病院のベッドに居ます。

MRIってのをやってきたんですけどあと20秒長かったら暴れるところでした。きつい検査は承知の上で、もう少し被検者に優しいやり方がありそうなものですが、20年前の南ヶ丘病院の方がすすんでいたよ。

ま、とりあえず去年の秋に起きたことを記録します。

 

昨年秋、稲刈から大豆の収穫が終わって麦蒔きの準備にかかる頃、11月27日僕はお客さんの庭で草刈りをしていました。良い天気で作業も順調です。3時の休憩で軽トラの荷台に腰かけコーヒーを飲んでいると急にパキッと背中が割れたような音がして経験のない激痛が来た。

九十過ぎのお客さんがオロオロ心配する前で僕は庭をのたうち回っておりました。こんな痛みに思い当たリがないし息はできないし和らぐ気配もない。

お婆ちゃんが心配のあまり倒れるんじゃないかと思った時、僕は腹を決めて救急車を呼びました。自分のために救急車を呼ぶのは抵抗があるのです。

午後3時40分 救急車を呼ぶ

約8分救急車現場到着

救急隊員の第一声「大動脈乖離の可能性! 」

     アレ?それ先週見たTVドラマでやってた

救急車内「隊長!県北病院、荒尾市民病院受け入れできません。」

「熊本はどうだ?電話かけ続けろ!ドクターヘリを呼べ!」

約5分後 大橋口河川敷にてドクターヘリに移乗。

あたりは黄昏時でストレッチャの上で見えた空はすごくきれいな青紫色でした。

ドクターヘリ機内 「もう大丈夫ですよ、何処が痛みますか?」

と聞かれた頃には痛みは右肩に移っていたように思います。

でもこの問いかけはすごく安心した。

結局熊本市内での受入先が決まらないままとりあえず日赤?に降りることとし、窓からヘリポートのHマークをちらっと見て気を失いました。

それから眠っている間に心臓手術、その後集中治療室に移って7日後、意識が戻ってこっちに帰ってきました。

 

初めての救急車、ドクターヘリ、長時間の心臓手術 現場の緊張感や救命活動にかける多くの人達のお陰で、63年で終わったかも知れない僕の命は繋げていただきました。

皆様の覚悟と努力に感謝します。

晦日に帰宅して正月を過していた僕等に飛び込んできたニュース。能登北陸の被災者の方々、心より御冥福とはやい癒しがあるようお祈りいたします。厳しい現場で救急救命活動に立ち向かっておられる皆様のご無事をお祈りします。

 

 

生きていると本当にイロイロ起きるなぁ。

 

そのあったことを記錄するだけで3ヶ月もかかったわけで。

 

 

 

田植えは済んだ!

朝陽が北東に寄って奥の座敷が明るくなる季節。
苗床の準備や麦刈りに追われる繁忙期がはじまりました。

麦刈りの済んだ田圃を荒起し水を入れて代掻きします。

細々した作業に時間を取られ、お客さんからの草刈り依頼をいなしつつ焦って焦って代掻きに行くんですな。本来代掻きは「荒代掻き」をやって麦わらを漉き込み「本代掻き」でトロトロに仕上げるらしいのですが、なんせ時間がない。

僕はキイチおっちゃん直伝「一発掻き」です。

「壮一っちゃん代掻きは誰に習った?」

「は?ユーチューブ先生だけど」

「そがんせんでもアーやってコーやってコーすりゃ一発ででくっぞ」

「!」

おー!ほんとだ、オッチャンあっざース

決め手は水の含ませ方とタイミング。

「もやい」でやってるヤッチャンが23日から社員旅行に行くってんで田植えを18日からに決定、お手伝いをそこから雇ったものだからそれまでに準備を終えなきゃならんわけで、朝5時から夜8時まで代掻き代掻き・・・

夢に出るわ

それで何とか始めたら苗が足らん。

100枚以上足らん。

苗の間隔を広げ、苗つかみを減らし、さらに広げ最後の田圃は本当に最後の苗まで使い切って終わりました。

熊本じゃ「仏さんの仕事」って言いますな。

800枚以上の苗箱とドロドロの軽トラ、機械類を洗って仕舞って今年の田植えも終了。

今ですか?筋肉痛・・ってかダルい。

でも大豆の種蒔きに向けて残りの田畑を鋤かなくては。

種蒔き機も修理しなきゃ。

繁忙期ですな。

 

ゆっくり上を眺める暇も無ぇ・・・

でも毎日楽しい。

トピックスとは

プププ・・いまどきトピックスなんて聞かんなぁ。

特段変わったこともありませんが写真を引っ張り出してみたよ。

 

稲は田植え機で植えます。そこで使う苗は苗箱で栽培するわけですが、育った苗の白根が苗床に張り付いて箱が剥がせません。白根を切って箱を取り出す道具が必要になります。左の緑色はピアノ線の根切り器、これは2時間も持たなかった。右の2枚のスキージは剥がした箱の裏の白根を切るためですが、二度手間になるので人を配置しなければなりません。

真ん中の白い柄のついた道具は自作の根切り器。今のところこれがベスト。

緑の根切り器は金属ゴミです。

 

稲の消毒はドローンがベストだと思います。

 

早いし格好いい。

 

僕が参加している法人でも今年ブームスプレイヤーを導入しました。

これは僕とヤッチャンが運用しているブーム。

水田では稲を踏むのと車輪が土を掻き上げるのが難点ですが散布品質はいいです。

稲に限るとドローン、ブームの順に良いと思います。大豆や麦等の乾田ではブーム。我々のような小規模農家(圃場)ではブームは最適。一番合わないのはやっぱヘリコプター消毒。

なのに今年これの修理に60万円。イタイ・・・

 

友人がコメを取りに来るというので待っているとブロロロロとバイクの音が・・

バイクじゃない!

定年してこれを買ったらしいです。

コツコツ直して楽しそう。

楽しそうにしている人を見ると嬉しくなる。

 

去年は蜂に3回刺された。

藪の低い場所に蜂の巣がある年は台風が多いそうです。

草刈りは気を付けましょう。

 

友人に刺激されたわけではないけど僕も買いました。

オーレックHRC805

 

新旧・・赤い方が1号。ボロボロのローターカバーに2mmの鉄板を溶接してマッドマックス状態ですがこれはこれで使い倒しています。

緑の2号は幅が150mm広がりました。

 

でも新車なので気を使ってバンパーを自作して取り付けるまで草刈りしませんでした。もういいよ!

溶接機があると本当に便利。点付しかできないので「点付王に俺はなる!」

 

先日、本当に久しぶりに名古屋に行きました。

LCCターミナルの長い長い通路にブチ切れました。

ふざけんな!セントレア

 

こうして見るとあまり写真撮っていませんね。

心を動かしてないと周りを見なくなるんでしょうね。

それじゃつまらんね。

一年放置した場合・・

ご無沙汰しております。

いろんなことがあり

愛さえ見失いそうになり

それでも誰かと触れ合えば

そうだ元気ですと答えますよ。

 

ホンジの親父さん。

農業を一緒にしたキイチおっちゃん。

いろいろ教えてくれたセイマイのおっちゃん。

みなさん有り難うございました。少しずつ僕の一部となって共に生きていけますように。

それが原因で一年放置したわけでもないのですがかなりgdgdしました、酒も飲みましたし。

 

父も母もモトちゃんもいない、おっちゃん達もいない。僕たちが最前列です。

考えて、動いて、協議して、そうしてつたえる場所にいるとボンヤリしている余裕はなのだけれど。

でも頭には薄くモヤがかかったような・・それを振り払いたくてもできない自分を甘やかしました。

それで思い付いたのがブログです。

 

頭を動かすには体を動かす。

還暦過ぎて恥ずかしい限りですが結局、中学生の感性で生きてるもんでそのくらいのことしか分からんですな。

動け!動け!

そして思ったことを書け、気付いたことを書き残せ。

 

なのでブログを書き出した次第。

自分に向けたメッセージですが、もしついこれを読んじゃった方が何かを感じて頂けたらそれは嬉しいことであります。

 

どうかお元気で

僕は大学三年の頃車の免許を取った。

4年になると課題の材料などを運ぶのに

どうしても車がいると思ったから。

平針の愛知県自動車練習場。

免許センターに併設された練習場に週一回通って車に乗る。

自動車学校に行く金がないと言ったら

バイト先のカトウ造園の社長が教えてくれた。

おかげでかなり安い8万円で何とか取れた。

全額母に借りたが返せないまま母が亡くなったので

今となってはごめんね母ちゃん!

 

で、車だよ。

安い中古車を探していると空手部のツチヤ先輩の勧めで

瀬戸市井戸金の「本地モータース」を訪ねた。

オッチャンにカリーナバンを探してって伝えると

ス一と引っ張ってきてくれた。

25万円はユウコ姉ちゃんに借りた。

僕の自動車人生が始まった。

 

最初は名古屋弁丸出しのとっつきにくいオヤジに見えたんだけどな。

昔気質の修理屋で車が大好きな人だ。

以来僕と家内のクルマをずっと、面倒を見てもらった。

僕がハイラックスに30年乗り続けられたのもオッチャンのおかげだ。

ミッションも替えて、エンジンも替えて「まんだ車検とるの?」

って笑われたけど。

オッチャンに見てもらっていれば心配なかった。

 

数年前に心臓の手術をして以来仕事をセーブしていたらしいが、

最近、脳梗塞になったという連絡を受けた。

 

そして先週、今年いっぱいで店をたたみますとのはがきが届いた。

 

とうとうこんな日が来てしまった。

ホンジモのオッチャン。

あなたの仕事は多くのクルマを安心して走らせてくれました。

手土産のたこ焼きやアイスを食べながら

いっぱい面白いクルマの話をしたね。

有難うございます。

リハビリ頑張って

いつかまたクルマ談義できますように。

 

40年の交誼に感謝を込めて。