入院メモ 第3話

1:万十って書いてた

先輩に頂いた「松平饅頭」の話なんだけど、実は怪我する前の日、家内と饅頭について話していたのでタイミングのよさに驚くのであります。つまり、僕が食べたいのは「なごやん」のような焼き菓子ではなく小麦粉を蒸した昔ながらの饅頭だという話の後にまさに、黒糖饅頭を頂いたという・・幸せ。

中国でも饅頭と書く、小麦粉の食いかたとしては手が込んでいる、蒸したての匂い、薄皮、フカフカの食感、饅頭は美味い。餡は小豆、こしあんつぶあん、トンポーロウ、カレー、ピザ・・・何だっていい。しかし大切なのは饅頭部分の比率である。餡がデカければゴージャスなのだが素朴な饅頭の味わいは減る、田舎の小麦粉で作った饅頭はむしろ餡が邪魔になるほど美味いのである。

ハッ、俺ななぜこんなに饅頭を語っているのだ?

実は僕の死んだじいさんが万十屋だったんです。元々百姓で養蚕教師なんかをしていたんですが僕が生まれた年、親父に家を譲ってばあさんと二人で村の反対側に小さなよろず屋を出しました。その脇で 万十  を作るようになり、色んなところに売れたようです。当時は田んぼで農作業をしながら、近所の小屋の普請、学校行事など、人が集まるところではよく 万十 をたべました。秋篠の頃、うちの畑からは稲刈りをしている田んぼに 万十 を届けるじいちゃんのスーパーカブが見えました。

じいちゃん家に泊まると、暗いうちから饅頭を蒸す匂いや湯気、ボイラーの音などがきこえてたまに覗くと出来立ての万十を食わせてくれました。それが僕の饅頭源体験なのです。

松平饅頭、薄皮の上品な黒糖風味、甘過ぎないこし餡、久し振りに美味しい饅頭を頂きました。



1: 祖父母のこと

饅頭食って思い出すじいちゃんのこと
僕が高校に上がったばかりの頃だったと思うが、じいちゃんは交通事故で足を引きずるようになった。もうスーパーカブには乗れない、以来饅頭を作らなくなった。子供達に「まんじゅや」と呼ばれた店は小坂店になった。かんがえてみればじいちゃんたちが万十を作っていたのは十五年位だったようだ。何の変てつもない紅白の素朴な饅頭が旨かった、あの頃は饅頭食いながらみんな笑っていたような気がする。

じいさんは親父とは合わないので細々したことを僕にやらせた。杉山の下草刈、トタン屋根のコールタール塗り、庭木の枝打ち、家のこと、鋸の引きかたなど、じいさんと一緒に作業しながら教わった。厳しかったと言う従兄弟も多いが、優しい顔しか覚えていない。孫のなかでは僕が一番じいちゃんと一緒にいたからね。

杉山に作業にはいるとき、じいさんは 山の神さんに 必ず一杯の酒を供えて安全を祈願する。作業が終わるとじいさんは酒を飲み、僕はコーラやファンタをもらった。

じいさんが僕に残した言葉、「 早起きは三文の徳 」

ばあちゃんはおっとりして優しかった。
夏休みが始まって間もない7月23日熊本本妙寺の屯捨会(とんしゃえ)に連れて行ってもらった。夏、夜通しお経をあげるばあちゃんに小遣いをもらって夜店で買い物をする。子供には夢の世界でしたなあ。家内と結婚し入院先の病院で紹介したときは本当に喜んでくれた。間もなく亡くなったので最後のばあちゃん孝行だったな。

困ったときはお題目を三回唱えなさい。

それがばあちゃんの教えだ。先日叔母と話す機会があったが、同じことを言っていた。これもものすごく役に立ったのである

祖父母が亡くなって店を解体したとき、屋根の根太の隙間に指した三本の包丁が見つかった。長いきれいな刺身包丁、出刃包丁・・油紙に包んで大事にしまってあったじいちゃんの道具。明治の男だったな。

2:1週間

手術したのが先週の日曜真夜中(正しくは月曜日午前一時から3時まで)それからちんちんイタイで苦しんで、今日で1週間が経ちました。入院生活にも慣れて、家族共々やや落ち着きを取り戻し、ささやかな希望もみえてきました。

目は、縫ったところは順調に塞がってきているようです。感染には十分気を付けています。光は感じるし、眼球のなかに浮かんだ血のような不純物はよく見えます。破裂した眼球が縫合でなおるなんて夢のようです。視力に関してはその後の対策なので、今はとにかく安静。

高い血圧も食事療法と投薬で落ち着いてきたようです。体重はやや少な目の84㎏、久し振りに計ったら身長は174.5㎝ありました、まだ縮んでない。退院までとにかくタバコは吸わないでいようと思っています。

小坂壮一、もと中年ひきこもり、眼科病棟にてただいま絶賛安静中。

3:目標

入院は最初の手術に関しては術後の経過を見ながら2週間、経過は順調だからうまく行ってあと1週間くらいで次の手術!!を考えるのだそうだ。次とはとりあえず塞がった眼球の視力回復に関する手術らしい。とはいえもとに戻る訳ではないので失明を避けられるかと言うことなのだろう。

あまり楽観はしないが悲観もない。眼球摘出の可能性もあったのだから最悪は回避できている、それだけでも感謝している。

そうなるとおそらく10月一杯はこの病室で過ごすことになる。朝六時に起き、二時間おきに点眼、七時、十二時、六時の高血圧食、10時の就寝・・・毎日五分ほどの医師の診察を受け血圧を計り食後の薬をきっちり飲む。広大な大学病院の敷地内は駐車場さえ禁煙だそうだ。う〜タバコ吸いたい。

あと三週間この生活ができるのならなんかチャレンジしよ。
a . ダイエットする。目標は76㎏一昨年いった数値だ。
b .  冨田くんのお見舞いをデータ化する。オスプレイ・・・
  楽しみだ。

このチャレンジの結末は月末(ケツマツはゲツマツ)わかるよ。


  

4:夜がこわい
 
大部屋に暮らしていても別に隣近所と付き合いもないし気楽なものだ。と言うかみんな昼間もカーテン閉めっぱなしでなにしているかさっぱりわからん。お陰で僕だけカーテン開けて広ーい部屋に暮らしてます。規則正しい食事と休養で僕の体力はMaxです、今なら徹夜の仕事も問題ないぜってほど元気なんですがなぜか9時半には寝なきゃいけない。

寝なきゃいけないんですよ、疲れても眠くもないのに。寝るんです、でも10時半には目が覚めちゃう。超早寝早起きですな。一人だけ暗いベッドに腰かけてじっとしていても、起きてるやつがいると皆さんの邪魔になります。携帯やタブレットなどの光るものもカーテン越しじゃ分かっちゃいます。

夕べは談話室のような所から家内に長電話しました。いやもう、本当によるが長い。ここにはインターネットもボーッとなれるタバコも、寝がけの酒もないんです。こまったもんだ。




5:一時帰宅

10月11日、入院11日目一時帰宅を許された。どうしても家内では分かりにくい請求書を書くためと言う理由だが、そんなもん無い。家内が僕の説明を面倒がり「一度帰られるか先生に聞いてみたら」と言うので、聞いたら意外にもOKが出たのである。自宅に二時間くらいなら・・・十分だ。

失明の危機を迎えてから11日目の世界は穏やかな秋の光のなかに静かに横たわっている感じだ。
台風の雨のなか、出血する右目を押さえて家内を呼んだ玄関の、コンクリートの階段に腰掛けタバコを吸った。
「あのときもそこでタバコ吸ってたよね、アタシが慌てて車を出してるとき」
「そんなに好きならタバコと結婚すればよかったね」
家内がそういって隣に座った。申し訳ない、君はタバコをやめない俺と結婚してしまったんだよ。

結婚以来家に鎮座していたピアノが無くなっていた。枯れそうだった茄子が小さい実をいくつかつけていた。主のいない僕の机の上に割れた眼鏡の破片が置いてあった。
家内は相変わらず手際が悪く、面白くて優しかった。

次はちゃんと全部済ませて、退院して家に帰ろう。