道具の最期・・・追加アリ!


道具ってのは茶道から来た言葉だろうか。
中国人に道具という字を書いても意味が分からなかったので、中国由来ではなさそうだ。

カレーを作っていて杓子が折れた。

これもすでに8年ほど使っている。むかーし近所にあった2元ショップで買ったものだ。(ま、中国の百均だね)

カレーが食えねぇ!ってんで速攻コンビニで新しいお玉杓子を買ってきたんだけど、これのデザインがイケてない。しかも深い。でも使ってしまったからもう返せない。

壊れたお玉は柄が木で出来ているから直すのは簡単、でもなんか安っぽいので何度か買い換えようと見て回ったこともある。さて、どうしたものか・・・

何気ないものが意外と長持ちしていることは多い。針を打たれるときに穿く短パンが23年(すでにボロボロ)、ビニジャンと呼んでるMA-1が20年(なんか薄くなっちゃって春先に羽織るにはちょうどいい)、春に捨ててしまったリーガルの靴が23年、今も使ってるシャーペンが24年、29年目のハイラックスは実家で眠ってるが捨てられない。

道具の命は使っているときにある。使われなくなった道具は命を失い、錆びたり腐ったりして終わってゆく。

2元のお玉杓子さえ8年も使い続けられてしまう。もっと良い物をちゃんと探して使えばもっといけただろう。そういうものを大切に修繕しながら使うことは僕の目には「格好いい」ことに見える。

しかし・・・お玉、買っちゃったもんな、直して二本体勢で行くか

無駄に悩ましいでござる。



追加

ここまで書いて二日もたってどうにも気になる。

書きたかったことと違う、ズレてる。

壊れた時、「とうとう壊れた」と思ってポイしてしまったのであります。そして新しいお玉でカレー食ってふとゴミ箱のコイツを見たとき、8年も尽くしたお玉に対して敬意が足りなかったと気付き、せめて写真とってブログに乗せておこうと思った次第。

道具は人に使われてナンボのもんです。

しかし、使っている間は人にとっても大切な人生の一部なんですな。共同作業によって生み出された何かがあるわけです。

たった2元のお玉杓子と作ってきた食べ物、よく分からん一人鍋やら、美味かった牛スジ大根、そういうものに感謝して最後を飾ってやりたいと思ったのであります。