入院メモ 第1話 ご無沙汰しておりますが・・・


引きこもりだった私にも波乱の秋がやってまいりまして、現在とある病院に入院中であります。ネットには繋がらないので大変失礼しておりましたが、やっと書き溜めた日記をアップする運びとなりました。

初めての入院で思うことなど書いていきますが、コメントをいただいてもしばらく返事が遅れますこと、ご容赦ください。




入院メモ 1

1:術後

手術の後、体の震えとオシッコが漏れそうな感覚の中で
目が覚めた。
チンチンが痛い、オシッコしたい。
「手術終わりましたよ」
「手握って」
「足動かして」
...「オシッコしたいです」
出していいですよと言うが、管が細すぎるし凄くに染みる。
病室に移ってからもこの感覚だけが頭の中で渦をまいてイライラする。
膀胱に管を入れられ、点滴と心電図、指先の心拍数のクリップただそれだけで
ベッドに縛り付けられた僕は取り乱してしまった。すべて引き剥がして便所に
いって小便したい。ただそれだけの自由すら奪った自分の失敗が初めて恨めしかった。
血圧は190を越えていたように思う、ひどくはないが、熱もあった。
オシッコさせて、落ち着いてと看護師と揉めたところで状況が改善されるはずもない。動かないでと言われていてもモゾモゾ動いて膀胱の脇を押さえたり、背中を浮かせて涼しくしてみた。なにか別のことを考えて気を紛らすかとふと若い女性のことなど考えようとして思い止まった。この状況でそんなことになったらどんな圧力がかかってどんな痛みがあるか、想像を絶する。結局なにも考えない、思い浮かぶことをフワフワと浮かばせて時間を潰すことにした。
看護師は頻繁に様子をみに来てくれた。
結局三時間たったら管を抜きましょうということなった。

術後三時間、管をはずし点滴棒を転がして自由にトイレで小便をする自由を
かいふくした。

チンチンの痛みがとれるまで一日半かかったよ。
中に管を通さなくてもオムツとか搾乳機のような方法はないのだろうか、精神的
肉体的ダメージが大きいように思えるのだが。



2:恐怖

ベッドに縛られながらその数時間の恐怖に取り乱した。
もしこのベッドで苦しんで二度と外の世界に戻れないとしたら、僕の意識は平衡を保っていられないと思った。昨年の夏、最後の入院となった叔母を見舞いながら、僕には全く彼女の恐怖が理解できていなかったんだなあと思う。先月、母を見舞った時も母の心細さが本当に分かったとは言えなかった。

僕は2週間もすればここを出ていける。
そのときどんなマイナスを抱えているかまだわからない。
でも、少なくとも自分の足でたち、動き回る自由は残っている。
その事を幸せと感じる心もある。

もし肉体と意識がきり離すことができて、肉体がどんな状態でも意識はネットの中でバーチャルな自由を感じていれば、あんな恐怖はないのかもしれない。そこまで考えてやっと(名前が出てこないが)あの映画の世界が理解できたような気がした。肉体は意識を活かすための電池程度の役割しかない世界だったような気がする。バーチャルであれ意識だけが平和な世界に生きていけるのならそれは幸せのひとつとして認めてもいいかもしれない。ただし、肉体が死ねば意識も死ぬ、そこは変えられない。

恐怖や痛みは実体の上になりたつ感覚である。耐えたり、堪えきれずに泣いたり、取り乱しちゃって恥ずかしいことになったり、すべて実体と意識がくっついているから起こることだ。小心な僕が怖さに取り乱したのはまあ仕方ない。



3:いとおしさなど 

結婚以来28年目を過ごしている家内をいとおしく思うことは希だ。
新婚時期、子供を産んだとき、それ以降は数回あったかな。

今度ばかりは俺が悪かった。言い訳もできない、彼女に申し訳無くて小さくなっていたら、私も悪かったと言ってくれた。馬鹿な男と結婚したために全く安心できない人生を歩まされている彼女だが、破れ鍋に綴じ蓋・・・なんかとてもいとおしく思ったのである。



4:説明責任と安全管理

52年の人生で初めての入院体験(いや、以前のあれは一晩だけ、それもアルコール中毒で気を失っていたので・・)だけど、なかなか快適です。ナースは優しいし、ご飯もそれなりに工夫して有るし。

しかし、大変な書類の量である。手術の同意書は当然、全身麻酔の同意書、これは当然としても、看護に関する説明書、転倒に関する・・薬に関する・・・たくさんの説明書と署名捺印。これは看護師のなりてが減っていくわけだ。本来の看護業務に加えて説明責任と安全対策のまさに前線に立っているわけで、気の抜けない仕事なのだ。

医師看護師、消防士、保育士・・・人の命に関わる仕事をしている人をもっと敬うべきだ。警察官、保安官、自衛官もね。




    
5:眼の様子

僕の子供時代の記憶にはゴムボールがよく出てくる。人が集まると自然ボール遊びが始まった、誰もがひとつは持っていた。そんなゴムボールの末路は、空気が抜けてクタッと変形して川に浮かんでるか、勢いよくパックリ弾けてしまうかである。事故後の眼球写真を見たとき僕はゴムボールが弾けたことを知ったのだ。

詳しくは、目を開いた状態で見える半透明の眼球が真ん中下から上へ パックリ切れている。裂け目は黒目のほぼ上縁に届いている。白目と黒目は判然とせず、 内部の出血のせいで ぼんやり青黒い、死んだサバの目を思い浮かべると近い。
こうさい、角膜、水晶体(眼球の前部の構造)がほぼ切れたか傷を負ったわけだ。

実はクルマのドアにぶつけて眼鏡のレンズが割れたときから、最悪のダメージを予想していた。眼球になにかが強く押し付けてくる感覚、そしてぶわっと暖かい液体が溢れる感触、今考えることは実際に起こった事実と大きくは違わないと思う。最初の病院でとったCTでは左が通常の円形断面に対し、右は張りのないいびつな三角形になっていた。眼球が破けて中の液体が流れ出した結果、球体を維持できなくなったのだろう。

ほっぺたの傷を六針縫ったあとすぐに専門医のいる病院への紹介状を書いて、受診を薦めたドクターには感謝している。
次の病院で傷を見るなり緊急手術になった。

「右角膜裂傷、眼球破裂」損傷部位の縫合

手術の内容である。全身麻酔で行った。
眼球を六針縫ったそうだ。
三日もたって自分の写真を撮ることを思い付いた、怪我をした人の顔が写っていた。自分の顔になるまでどのくらい時間がかかるのか今はなにも言えない。