農暦(太陰暦)のお正月


今日は農暦の元旦。
明治時代に太陽暦を採用していなければ日本でも今頃正月でしたな。ちなみに中国で携帯を買うとカレンダーには太陽暦と農暦の二種類が表示されます。今時分だけコレはコレで結構便利。

例によって家々には赤いまじないの切り絵や倒福の張り紙、街には五星紅旗がはためいております。家々では子供が孫を連れて里帰りしたり、旧友と会って飲んだりと日本とほぼ変わらない(最近は実家に帰らない人もいるらしいけど)様子。TVでは大晦日紅白歌合戦のようなものもあるそうです。

昔お邪魔した山東省の正月では、大晦日に大量の餃子を茹で正月はそれを食べ、夜には近所の親戚が集まって宴会。二日には羊スープの面(コレが最高に美味かったのよ)三日目は饅頭だったか・・日本の雑煮と同じように三が日に食べるものが決まっているようです。地方によって違いがあるそうですが。

何となく似ている日中の正月も大きく違うのは初詣。
なんせ神社がありませんからなー・・・さびしいやろな。


神社話で思うこと

これが実家が氏子になっている菅原神社

昔はこの裏手にこんもりした杜があったのですが、今は三分の一ほどになりました。中学生の時はオヤジの名代で下草刈なんかにも行きました。中央にあるのは大宰府から分けてもらった「飛梅」、右に建っているのは村から出征した人を祀る忠霊塔。その忠霊塔の下にはこのように刻まれています。

明治以降国体の隆昌は(不明)を追うて加わり万民その繁栄を慶祝しつつあったが昭和の世になり隅々(不明)蹉跌し一朝にして国勢を衰微の極に沈めるに至った
 今やわれら国民挙って祖国再建の途上にあるこの秋にあたり明治以降数度の戦争事変に際し国家万民の栄昌と福祉の為あたら一命を捧げられた本村出身先輩?士の崇高なる奉公の精神を敬慕伝承志て祖国の復興を万進せんことを希う
 すなわち聖域を撰び碑を建て以て英魂を弔う所以である
昭和三十八年  梅林村

出身者としてここは大切な場所ですな。
僕が3歳の時に日本人はこうだったんですね。そして復興中だったんだ。

忘れてはいかんことだな。


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街中にかかった紅旗を見て日の丸を思った。