ふと、バイトのことなど思い出した。


楽しかったよね

夏休みが近づくとソワソワするのは卒業して30年以上たった今でも変わらんね。夏休みは始まる前が最高で、徐々に焦りと寂しさが増しお通夜のような8月30日を過ごし、31日は諦めて学校の友達の顔を浮かべながら必死に宿題をする。ま、そんなもんでした。

先日、天津に赴任してきた大学の同級生(正確には入学時の)と十数年ぶりに会いました。

中国の様子、歳とっちゃった話、いろいろ盛り上がりましたが、とてもスッキリしたのは仕事の話がしっかりかみ合うこと。彼は親会社、僕は関連会社に就職しましたが、技術のベースが同じでちょっとした隠語のようなこともストレスなく通じて楽チン。もっと早く来てくれれば良かったのに。


そんで、なんかふと昔やったアルバイトのことが頭に浮かんだので書いてみる。

1:初アルバイトは高校卒業時の土方。上野組って言ったなあ。土方はほぼ百姓仕事だから普通にできる。友人三人と始めたが、給料日に監督が「お前だけちょっと多めに入ってる、ほかのやつには言うなよ」といってくれたのが申し訳なかった。

2:大学の最初のバイトは中華料理屋の店員。中華楼という冷やし中華が旨い(というか、生まれて初めて食った)店だったが、二階が麻雀屋になっていて夜はそっちのボーイに回された。カウンターの中に入っていてコーヒーを入れたり、食いもんを一階の厨房に注文したりと簡単な仕事ではあったが、なんか水商売の雰囲気が田舎の少年には我慢できず半年くらいで辞めた。
「にぃちゃん、ホットちょ!」を覚えた。

3:年末になると帰省したくて夜勤のバイトをやった。ヤマザキパンでクリスマスケーキを作る仕事だというので行ったら、人手の足りないシュークリームラインに入れられた。カスタードを注入機に補充する係りで、広いベルトの上を帝国軍の兵士のように進んでくる大量のシューに、注射器のようにチューってカスタードが注入されると一人前のシュークリームになった。帝国軍の工業技術に驚いた。一度だけ腹痛で早退した。夜中の2時にふらふら原付で帰っていてトラ柵にぶつかって盛大にコケタ。

休憩は確か夜一時から、休憩所のテレビでジョンレノンの死を知った。


4)何時だったか忘れたけど、当時下宿の近所に建設中のトヨなんとか中央なんとか所の工事現場で夜警をした。現場は夜は無人で会社のスターレットで二時間おきに見廻りをした。ある雨の夜、暇だったのでスターレットで現場のダートでラリーの真似していたらすごく深いぬかるみにはまった。フロアまでずっぽりはまって動けない。ユンボにキーが差しっぱなしだったのを知っていたので、停めてあったユンボを適当に動かしてバケットにワイヤー掛けてクイッて引いたら、スターレットがビヨ〜ンて飛んで来てびびった。ユンボを元の場所に戻しキャタピラ痕をスターレットで何回も走って消し、朝何食わぬ顔で引継ぎしてすぐに辞めた。
ユンボに乗れたのが嬉しかった。


5)セブンイレブン→サンなんとか→ローソン
コンビニの店員もやった。夜中の2時3時でもちっとも暇にならなかった。朝6時から7時が実は暇だと知った。彼女が風邪を引いて寝込んだとき店のアイスを買って見舞いに行ったらお母さんに喜ばれた。お母さんが御義母さんになるきっかけになってまった。


6)やっぱ男は力仕事に限る。グラウト工事という地盤強化を専門にする会社でバイトした。現場はほとんど山の中、砂防ダムの法面補強が多かった。毎日自然の中で働くのが最高。そこまでの山道も最高
現場に単管でボーリング足場とプラントを設置する。ボーリングしながら地質調査、ボーリング坑に高圧ポンプでセメント液を注入する。プラントでセメントミルを作って居るとたまにすごい勢いで減るから急いでセメントを運ばなければならない。最高は一度に4袋(160kg)を抱えたことがある。
 長い休みにはまとめて40日とかできた。岡崎、蒲郡多気、福井いろんな現場で泊り込みでやった。結構なバイト代をいただけた。給料日に現場の先輩と黒川のミッドウェストという服屋で20万以上買い物したこともある。先輩にトラッドファッションを教わった。そこで覚えた言葉は単管・クランプ・ラチェット・デンヨー・スイベル・玉掛け・ブーム(ユニックの)・ウェス・鉄砲(野○ソ)・アンカー・ポプリン・ヘリンボーン・トラウザース・スリッポン・タッセル・インディアマドラスとかナンとかカンとか。
 楽しすぎるバイトで滞在中の三重県の民宿に「小坂クン、君単位が足りないから留年!」の電話をもらった事もある。


7)泊り込みはまずいので、町内の加藤造園でバイト。朝、近所のジジババ様をボンゴに乗せて現場に行く。元受の監督さんから図面を見せてもらいパートさんたちに仕事を割り振って5時になったら引き上げて報告して終わり。たまに圃場に苗木を掘りに行ったり社長と二人で作業することもあった。木には裏と表があるのを知った。社長の小屋に相当大きなポルシェのトラクターがあって「やっぱポルシェはいいよぉ」って自慢された。
造園は百姓の息子との親和性は高く、すぐに社長に気に入られる。「どうだ、小坂君あんた車欲しいんだろう。好きなの買ってやるよ、学校辞めてうちに来てくれたら・・・」 これは真剣に悩んだ、長いことモヤモヤしていたら彼女に「デザイナーにならないんなら付き合うのやめる」といわれて諦めた。


これが学生時代最後のアルバイトで、四苦八苦しながら大学を出て企業デザイナーになった。


なったよ・・・


正業 なりわい

僕の場合どういえばいいのか。
10年もたたないうちに会社辞めちゃって、以来ず〜っとフリーターみたいなもんですから。ハッハッハ

仕事って楽しいね!

そんなこんなことを思い出しつつナントカ今日も一日終わりました。
仕事がないと一日が長〜い。