入院メモ 第8話

1:だんだん短く 
 
入院患者は中年以上の人が多い。自然、朝が早い。5時頃にはソワソワ起きたり、便所に行ったり、早い人は4時から動き出す人もいる。夜九時半の消灯を早すぎると思う人はいるかもしれないが、朝6時の起床を早過ぎると思う人は多分、一人も居ない。悲しいのは朝、目覚めの一言が「アイタタタタ」とか、「いっつー」「う、う〜ん」とかの痛い系うなり声なのがみんな一緒。変な連帯感が生まれる元になっている。
 
入院30日目、四十枚入りのコーヒーのペーパーフィルターが残り9枚になった。入院メモの記述がだんだん短くなってきた。





2:初めて
 
毎日医師の診察を受ける。遮光された診察室で拡大鏡のようなもので眼球を観察される。「上見て、右上〜、はい右ー、右下、下、左下ァ、左ー、左上、はい正面向いて・・・順調ですね、はい、じゃもうしばらく様子見ましょ」これがデフォである。う〜ん、患者さんも多いし大変なんだろうけどもうちょっとなんか変化が欲しい。

来たよ、今日は。
「順調ですし、思ったほど網膜は損傷を受けてないので一度退院して次のことを考えましょうか」
「と言うことは角膜を平らにしたりするってことですか?」
「いえ、レンズを入れることになると思いますが、いずれにしてもまだ見えると言うことはないです、これから時間をかけてやっていきましょう」

先生が初めて自分から「退院」と言う言葉を使いましたよ。
道のりが長いのは覚悟してます。
具体的な日程は分かりませんが、遠くない気がします。

へっへっへっへ・・・




今日は大戦話なので関係ありの飛行機入れときます。



3:入院患者
 
患った者の集団生活である。眼科病棟には若者も居るにはいる、しかしほぼジジイ集団だ。患ったジジイがタンマリ居るぞ〜・・・面白そうでしょ。

先週までは50、60が中心でオッサン臭く楽しかった部屋が若い方が退院して70、80代の方が入ってこられた。じいさん臭い部屋の賑かさについて書くはずだったが、今、一番年配の方に挨拶して変わった。
忘れないうちに書いとく。


「お早うございます、大泉さん、今日手術ですね」
「はあ、もう見えんんですよ」
「手術してしっかりうつ伏せにしたら治りますよ、みんなそうして退院していきますよ。ところで、大泉さんお幾つですか?」
「87」
「と言うと昭和初年?」
「いや、大正15年だよ」
「え! では戦争中はどちらにいらっしゃたんですか?」
「ワシは佐世保にいました、佐世保海兵隊(団とおっしゃったかも)で訓練受けとりました。召集されて三ヶ月、毎日訓練訓練でね」
「いよいよ配属が決まると言うとき、上官がラジオを聴けと言うので集まった。途切れ途切れではっきり聞こえんかったけど、上官が辛そうにしとったんで分かった。」




航海公試中の大和(Wikiから借りた)


「それで愛媛に帰られたんですか?」
「いや、ワシは召集前は呉に居ってね、造船所で働いとった。〇〇部言う職場に居ってね、毎日事務所にいくまでドックの横を通る、そこで毎日大和を見たよ。」
「ええっ・・大和ですか!」
「うん、毎日見とって完成したら中を見学させてくれた、大きかったよ。三年くらいで作ったね、突貫工事やったな、回りの道やバスからも見えんように大きな目隠しがされてね、おおきなもんやった。」

「武蔵いうのもたしか佐世保かどこかでつくっとったけど、あんなものが沈むとはそら思わんもの」
「やっぱ飛行機には敵わんな・・・飛行機は上から爆弾ぽいって落としたら下は防ぎようがあらへん。空襲受けたら一発や」
「呉で召集受けたとき、立派な幕を書いてもらってな、〇〇さんていう有名な絵の上手な人が真ん中に日本刀を描いてくれてな、空襲で燃えてしもた」
「あれは惜しかった、あれは素晴らしかったよ、宝もんだった。持って逃げないかんかった」
「でもお陰で今生きていられるんですね」
「うん、でもあれは惜しかったよ」

そこで話は途切れた。お互い目薬の時間なんで・・・
しかし、朝からすごい話を聞いてしまった。
戦艦大和の建造を目の前で見た人に会えたよ。

(津東、あー津東にスッゲー自慢したい)
小学校2年か4年か忘れたが、当時三井さんに入院していた父が・・・いや、入院していた母を見舞った父が、だったか、とにかく父が買ってくれたのがものすごくでかい大和のプラモデルだった。なぜ大和?俺、実はスティングレー好き、サンダーバードも二号と四号は好き・・しかし親父が買ってくれたのは大和で、買ったときすごく満足そうだった。



戦艦大和とは、少なくとも昭和の男の子にとっては特別な何かである。




艤装中の大和ウィキより借用


大泉さんは飛行機にゃ敵わないと言うが、当時の日本が世界一と言われる戦艦を作り上げた事実は日本の至るところに力となって現れ、戦後の復興に寄与したと僕は信じている。
さらに大泉さんが一番悔しがる幕(日章旗かもしれない)が戦争の記憶のリアルさとして印象に残る。僕が戦争について言えることなど無いが、知っている人に会った、その事を書き残したい。




 
4:オヤジだもん
 
たまには冗談も言う。先日診察室でお名前を確認しまーす。はいお名前は?と聞かれたので、できるだけ爽やかにオダ・ユウジですって言ったら、はーい織田裕二さんですねー、じゃIDとベッドの名札変えとかないとねー・・・えーっと、おだゆうじさん。
あー済みません済みません、ご免なさい、もう冗談言いません、真面目にやります。
なんてことをやってるわけですが、今日は凄いよ。



トントン、失礼しまーす。
今日入院されます「おだゆうじ」さんです。
よろしくお願いしまーす。



吹いたわ。


 





5:これが野菜か


  
お、良いねぇ、健康的だねえ、明るいねえ、元気だねえ。ちょっとくるっと回って、よく勉強してる?難しいこと知ってるね、こんなにたくさん入ってるんだねえ。
君は優等生だー・・・だけど一人じゃYASAI-48できないんだよ。色んな子がいて色んな個性があるから良いんでね、一人で何でも出来るっていってもね。(書いてて恥ずかしくなったわ)


野菜の栄養素をジュースで飲む。
必要な栄養素をゼリーで食べる。
現代人に足りないミネラルをサプリメントで・・

忙しい現代人には便利な食事?食事?それは摂取でしょ、または投与。
そして生まれた時間で仕事?増えた給与でショッピング?旅行?ああ、グルメってのもあるね、まあ幸せは人それぞれですから。

しかし、食べ方がおっちゃんは気に入らんの。田舎で豚を飼っていたし、鶏も牛も飼っていた、彼らは飼料を食べます。ビタミン、ミネラルたんぱく質、色んな栄養素をバランスよく配合した高級品です。彼らは家畜と呼びますが、サプリマニアは何畜?テレビ、雑誌の情報、ネット情報・・僕の印象では情報に飼い慣らされた情畜とでも呼びましょうか。極端ですが、この先突き詰めていくと、培養液カプセルに入れられた肉体に繋がれた電極から取り出され意識だけがバーチャル世界で生きていくあの・・・(何て映画だっけあのキアヌリーブスの・)アレみたいなのを想像してしまうのです。

ここからはいつもの貧乏自慢ですからお嫌な人は読み飛ばしていただいて結構な訳ですが、やっぱ野菜には食い方があってさ、母親がつくって食わせてくれたものは大人になっても覚えてるもんよ。野菜が体に良いのは知ってるよ、だからちっちゃい畑作ってさ、ちょこっと野菜作ってさ、下手だから小さい曲がったやつがいっぱい採れて、それを笑いながら皆でどう食ったら良いか考える訳よ。娘が作るとスープ、息子はスパ、俺はひたすら炒めるだけ・・みたいな。あるものを食うわけだから多少バランス悪いわ、うまくできればうまいと言い、不味ければ・・美味しいよという、そうやってヤァヤァ食うのが食事なんだよ。疲れた時にはとにかく肉だ、お通じ悪けりゃ根菜類、納豆飯なら三杯食える、肥れば減らし、血圧高きゃ薄味で。

そうしてうまいものの味を覚えて、家族や生きていることに感謝を覚えて皆大きうなるんだ。

食べることは、生きることだぜ!って、ここの栄養士に言いたいわけだ。



母さんに、アンタが言うかって言われそうだな、はっはっは