金栗先生の記憶


ご無沙汰しております。

私の嫌いなNHKの今年の大河ドラマ「いだてん」の主人公金栗四三先生のお話。

東京オリンピックに向けたPRで無理やり感のある「いだてん」ですが、地元玉名は降ってわいた大河ドラマにに大盛り上がりです。墓は整備するわ旧家は博物館にするわ、高校の同窓会など急に金栗先輩などと呼び出す始末。NHK様の御威光はすごいですな。

1〜2回を見た限りではすでに玉名編は終わっちゃってこれからどうすんのと思っていたら3回目を見逃しました。もう見ないかも知らん。


栗先生と言えば私の中では「運動会で万歳三唱をするおじさん」だったんですね。これが誰も覚えていないんだけど、確か左右学校の高学年の時に梅林小の運動会の最後に来賓の金栗先生が登壇されて万歳三唱をしたと記憶しています。その時はただのおじいさんに思えました。

栗先生についてもう少し詳しく知るのは中学校のたぶん2年生の時。
水泳部だった僕は冬季は陸上部と一緒に走っていました。ある日、顧問の田原先生が今日は金栗先生の家に行こうというので、みんなで上小田の先生のお宅に走って行った覚えがあります。

お宅で座敷に上がってお茶を頂きながら先生の「マラソン足袋」を見せていただきました。みんなで手に取ってこんなものでよく走れたな〜などと言い合ったものです。

先生は優しい方でストックホルムに行った時のことをいろいろ話してくださいました。

古めかしいけど落ち着いた座敷だったような・・・

それ以来先生とはお会いしていません。
高校の池の中道にロダンの考える人の銅像に相対して金栗先生銅像があることすら忘れていました。


上の写真の金栗邸に行く機会があり改めて見るとこんなポンプがあったりしてなかなかの古民家です。


栗先生の、というより明治の人の暮らしを少し垣間見ることができます。

好きではないNHKですが、故郷の偉人について知る機会になったのは素直に感謝しましょう。


ところで、私たちが走っていたころはマラソン足袋とそう違わない鬼塚タイガーの「スピード何とか」というズックの親指の部分を切って使っていましたな。

あれは何て名前だっけ?

1月12日


母の命日です。


去年の今日、子と孫全員に看取られつつ自宅のベッドで旅立ちました。

いまだに母との思い出や後悔がよぎって複雑な気持ちですが、僕はもうしばらくは母と父、祖父さんや祖母ちゃんのことを考えながら頑張って生きようと思います。

玉名市は田舎ですが、訪問看護や介護、在宅医療ネットワークなどがよく連携してくれて助かりました。皆さんの熱心なサポートに感謝します。

玉名市は田舎ですが、人生の幕引きにはいい場所です。


母さん、父さん、ご先祖様、ありがとう。

くろぎり元年


当ブログを訪れてくださる皆様

新年、明けましておめでとうございます。

本年もブログ、「くろぎり屋」をよろしくお願いいたします。


写真は我が家から数十メートル先の「若宮社」

去年は私が当人として一年お守りしました。
そして年末のお飾り、注連縄、なおらいという部落の新年会の幹事を仰せつかりまして年末年始は目の回る忙しさでした。

3日のなおらい会を長老に叱られながらもなんとか済ませ、今年の当人さんに引き継ぎ、やっと正月らしい時間を過ごしております。



年末は造園、クロギリ、保全隊、若宮の準備、さらに正月二日の母の一周忌、3日のなおらい会と息つく暇もなくバタバタしました。

写真だとこう。

例の切り株納品しました。


近所のくろぎりも年内に何とか終わりました。


保全隊の竹灯篭も彫りました。
これは今年新しい方式でやったので準備に時間を食いましたがまあ、きれいにできたかなと・・・


一周忌が済み、家族も一人、二人とそれぞれの居場所に帰って行きます。家内と二人になると少し前の親の気持ちがわかってちょっと寂しくなりました。

今年は年号が変わる御大典の年です。

昨夏から始めた「くろぎり屋」も正念場。

気を引き締めて、安全に玉名の草を切りまくります。


よく降るわ・・・


12月も半ばですが雨が多いですね。
こんなに天気の悪い年末も珍しい。

「土方殺すにゃ刃物はいらぬ、雨の三日も降ればよい」

まったくですな。


雨が降ると落ち葉に泣かされる。


紅葉の下に駐車するのでこうなる。
中から見たら意外ときれい。



今は年末忙しい造園屋さんの応援に通っていますが、今日みたいな雨ではさすがに休み。

ぽっかり空いた一日ですが僕はこんなことをしていました。


先日お客様から「これ、どうにかできない?」と言われて預った切り株。


切り株・・・

亡くなったお父様が磨くためにとっておかれたそうで、捨てるに忍びないのでなんとか家に飾りたい。

そんなの業務に入っていないが、木を削るのは嫌いじゃないので機械使って磨いてみた。

何の木か知らないが固い。

でも磨くと何とも言えない木目が現われていい感じになりそうです。



年輪は70から100くらい(よく見えないところもあるので)
いや、これはなかなか楽しい。

綺麗になりそうなのでニスでギラギラさせるより
ワックス仕上げがいいかもしれん。


先日、家内が名古屋からの帰りに福岡で
ボヘミアン・ラプソディー」観てきました。
以来家ではクイーンかかりっぱなし。
たまにレッドツェッペリンも・・

DIYがまたブームだそうです


昔流行ったホームセンターが何軒も潰れていたのに、今またDIY女子なんてもんが流行で町のホームセンターの工作室は混んでるそうです。

僕も作ります。
適当に。

工作室じゃやりませんが。


平らな場所がここしかないので玄関でやってるとたいてい家内に叱られます。
それでもこれは必需品。


こうしないと軽トラの荷台にたくさん積めない。
切った草の処分が必要なときはこれを付けて出かけます。


先日伺った山の中の畑はこんな道の先にありました。

「昔はここも軽自動車が通ったんだけどねぇ・・」
イヤ、そりゃ無理ですって。

途中には朽ちていないけど空き家もあって、暗いところが大嫌いな僕にはつらい。

機械やら燃料やら道具も持って二往復してると空き家をつい見てしまうし・・

こわい。

超怖い・・

せめて一回で全部運べたらと思って気が付いた。

本来の使い方とは違うけどキャタピラ付きのマイ戦車を使わん手はない。
家にある板やら棒やらを出して玄関でごそごそ・・・


ほれ!動力運搬車。
なんと草刈りもできるんですよ!!


これで少し元気に畑に行ける。

DIYは確かに楽しいわ。

ともあれ、目標というものを語ろう。

私が会社員をしていた三十数年前その会社グループの目標で「グローバル10」というのがありました。
グローバル10、世界シェア10%を取ろう!という意味です。いやぁ・・元気でしたね、当時の日本は。目標がシンプルなだけに力強い。

今も元気な企業はたくさんあります、もちろん。


さて、玉名でくろぎり屋なる一人親方を始めた私ですが、おかげさまで徐々にお客様に知って頂きつつあります。
先日除草作業面積が2万5千㎡を超えました。

・・・

二町五反、2.5㌶、100m×250m、そんなもんか〜
とは思いますが写真で見るとこう。

赤い線で囲った部分が私が切ったところ。
市内に何か所かあります。

これを徐々に増やしていくとどうなるか。

目標は2.5平方キロ!
玉名市の総面積25平方キロの十分の一
「玉名1/10」玉名ワンテンとでも呼ぶか。
これを私はクロギリしたい。

百倍ですよ。

必ずこのブログで達成のご報告を。
その際には何かプレゼントつきのお祝いをします。

私が切っているのはもともと先人たちが切り開いた畑だったところです。関心が無くなって放置されたり、地主が老齢で手が付けられなくなったりして竹や灌木や葛で覆われたところがほとんど。私はその再生のお手伝いをしているに過ぎません。

私は懐かしい玉名の風景を自分の手で再生し、
自分の目で見てみたい。

それが今の目標です。


偶然!



以前も書いておりますが、時々近所の造園屋さんの応援に通っています。

京都で修業した親方はピンと張りつめた空気を感じる京都流の庭を造ります。親方とは親戚で幼馴染でもありますが、数人の職人さんとも仲良くなりました。

今日仕事中に「壮一さん、クロギリってなんでクロギリって言うの?」と聞くので説明したところ、どうもわからない様子。

自分でネットで調べてみて
「あー、壮一さんと同じ事書いてある。」

さらに、
「あ、壮一さんと同じ刈払機の刃を考えてる人がいる!」

「何!それは問題だ。あれは俺の秘密兵器だぞ」

「だってほら」と見せてくれたのがこれ・・


「お!俺のと全く同じ・・・というか俺の写真」


俺のブログに行きついたね。

「え?」

壮一さんブログ書いてるんですか?

そうだよってことで今日コメント入れたいから更新しろとウルサイので無理やり更新してみました。


マエモト君、モリ君、コメントしろよ!

ただし、アホなコメントは即削除するよ。


一人の作業も気楽でいいけど、みんなと働くのは楽しい。


追記

そんなに俺様のことを知りたいならYAHOOブログも読んでみろよってことで

https://blogs.yahoo.co.jp/pawadekun/folder/739515.html?m=lc&p=56

リンク貼っときます。